豊橋筆の起源は文化元年(1804年)にさかのぼり、京都の鈴木甚座衛門が吉田藩(豊橋)学問所の御用筆匠に迎えられ、毛筆を製造したのが最初であるといわれています。豊橋筆が日本国内にその名を知らしめるきっかけは、豊橋が交通の要働出会ったことにもよります。豊橋は東海道五十三次の宿場町(吉田藩)として大いに栄、日本有数の墨の産地である奈良の墨商人が上京の折、この地で豊橋筆の存在を知り、江戸への販路拡大を進言したことも豊橋筆の名声を高めました。このような結果、豊橋筆は脈々と伝統を受け継ぎ、昭和51年12月15日には歴史と品質が高く評価され、通商産業省(現 経済産業省)より「伝統工芸品」の指定を受けています。
豊橋筆は、「水を用いて練り混ぜ」をするので墨になじみやすいため「書き味がすべるようだ」と多くの書家の絶賛を集めています。現在では広島県熊野町についで全国2位の生産量を誇っており、特に高級品の分野に関しては、生産量、金額とも他を多きく引き離し、高級品の7割は豊橋で生産されています。筆の良否は、材料とともに筆師に恵まれ、伝統工芸士には12人が認定されています。 しかし。企業規模としては零細な家内工業が多く、業界の高齢化も進んでいるため、後継者の確保と育成、現在材料の保存と品質の向上などに積極的に取り組んでいます。豊橋筆は多く流通をしているものの、無印で出し、お店のラベルが貼られています。
なので知名度が低いものの、長く支持を受けてきています。